水野勝成

水野忠重の子、日向守(1564〜1651)。慶長5年(1600)家を継ぎ、三河国刈屋で3万石、元和元年(1615)大阪の陣では松平忠明に次ぐ殊勲を立てて6万石で郡山城主となる。
郡山城は十数年に及び廃城であったので城内はほとんど田畑となっていて、勝成自身も洞泉寺を仮住居としていた。
石垣、堀の修理は幕府の直轄事業とし、二の丸・台所隅櫓・本丸御殿・三の丸・家中屋敷などは勝成の手で行われた。
元和5年8月備後国福山城へ10万石で国替えとなった。福山は中国筋の要地で、毛利氏の押さえと監視の役を負わされたといわれる。