山田町松尾山にあり、松尾山真言宗、補陀落山と号す。地元では「まつのおさん」と呼び親しまれる。養老2年(718)舎人親王四二歳の厄除けと元正天皇の命を受けた『日本書紀』編纂の成就を祈願して、法隆寺東院住持永業禅師と共に創建したと伝えられ、厄除観音の寺として観音霊場、修験道霊場として信仰を集める。
現在の桁行、梁間とも5間で入母屋造本瓦葺きの本堂は建武4年(1337)の再建で国指定重要文化財。大黒堂・行者堂・阿弥陀堂・三重塔などがあるほか鎮守松尾神社や末社が広い境内に点在する。
中世から江戸時代にかけて、興福寺一乗院の末寺であり、京都の醍醐寺三宝院に属する修験道の寺院として栄えた。江戸時代から日本最古の厄除け観音として民間信仰を集め、現在でも「まつのおさん詣り」として厄除けのための参詣が多い。境内にはバラ園があって春秋の花の季節には、華麗な薔薇と豊かな香りがあふれる。
【千手千眼観音立像】
県指定文化財で松尾寺本尊。厄除け観音として有名。檜材の寄木造り、像高177.3pで本手のほか千本の小さな手が放射状に取り付けられている。
それぞれの手には眼の形を彫り、瞳が描かれる。髪は群青色で眉、口、髭を描き、白毫には水晶が入り、頭上には十一面を載せる。光背は雲紋彫出箔押。室町時代初期の作と考えられる。
【大黒天立像】
国の重要文化財。日本三大黒に数えられる。木造彩色、像高98.8p、寄木造り、彫眼の立像で眉根を寄せ、眼尻をつり上げ、口を固く結んでやや右方を見据える面相は、誇張をおさえた怒りの表現で迫力がある。右足を遊び脚とする体の構え方も自然で着衣の質感表現の巧み。大黒天は、はじめは仏法守護の武神であったが、後に福神の性格を帯びる。この像ではすでに武装を捨てているものの武神としての名残が見られる。鎌倉時代中期頃までの作。
【金堂金具装山伏笈】
修験道に関する寺宝で国の重要文化財。檜材、黒漆塗、総高78.8p、正面幅64.8p、4足の箱形で、正面最上部に山形を作っている。銅板毛彫鎚金の金具並びに装飾を付している。胴部の正面外側を上下2段に分かち、上段には扉2枚を蝶番で観音開きに取り付け、各扉には五重塔の切抜銅板を貼る。下段には左右に弁財天・大黒天の銅板を貼る。内部上段の間に4体の木造小仏像を安置し、折本仕立の4冊の記録帳がある。室町時代の作。
ほかにも木造十一面観音立像、絹本著色釈迦八大菩薩像、絹本著色阿弥陀聖衆来迎図が重要文化財。
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