矢田寺

金剛山寺。矢田町にある高野山真言宗別格本山。『護国寺本諸寺縁起集』所載の「矢田寺縁起」によると、入唐僧智通が、天武天皇のために、白鳳四年(675)に建立したとされている。矢田山と号し、一般に「矢田寺」または「矢田の地蔵さん」と呼ばれている。当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていたが、弘仁年間(810〜24)満米上人が本寺に住し、小野篁(おののたかむら)とともに冥府(あの世)に至って地蔵菩薩に会い、帰って模刻したものを本尊の地蔵菩薩としたという。その後、地蔵菩薩信仰の中心として栄え、矢田地蔵の名で有名となった。創建当時には七堂伽藍が整い、48ヶ坊の塔頭があった。
中世末期、松永久秀の兵火によって焼失したが、江戸時代には別当職の住まいだった北僧坊をはじめ21ヶ坊が残っていた。
元和元年(1615)郡山城主水野勝成から庇護を受け、さらに松平信之の時「矢田村地蔵堂寺屋敷御供田灯明田」として12石7斗を施納されて以来、矢田山免許地として幕末に及ぶ。
本堂は7間四方、前面向拝3間の巨堂で全体として中世的な特色を残すものの、江戸時代に大改造が行われて、ほとんど姿を変えている。