○姉妹都市
平成4年1月22日
締結
大和郡山市と甲府市が姉妹都市を締結した。
姉妹都市締結書
歴史上の縁〈えにし〉で深く結ばれている大和郡山市と甲府市は、広く各分野の交流を通じ、相互の友情と理解を深め、両市の発展と繁栄を図ることを念願し、ここに姉妹都市を締結する。
歴史的縁
甲府市と大和郡山市との歴史的関係は、江戸時代の享保9年(1724年)3月、甲府城主である柳沢吉里が大和郡山に城替えを命ぜられた時に始まる。
甲斐は、江戸中期、宝永元年(1704年)から享保9年(1724年)まで、柳沢吉保・吉里が領有した。この柳沢父子2代にわたる20年間は、甲府城の修築工事や都市の整備、施設建設などが行われ、物資の流通も活発化し、近世甲府城下に発展と繁栄をもたらした時代といわれている。
柳沢吉里の大和郡山転封の際は、領民は年貢を完納し、旧城主を見送る領民があとを絶たず、家臣とその家族を含め5,286人(大和郡山市史)が移住したという。
吉里は大和郡山で経済を振興するため、養蚕を持ち込み奨励し、また、趣味で飼っていた金魚も運んだことから、明治以降金魚の養殖が盛んになり、現在日本で最大の産地となった。
柳沢家は、明治維新まで6代にわたり郡山藩政を行い、現在でも甲斐から移り住んだ多くの子孫が残っているため、甲府を故郷と思う市民も多い。